春荒れの日に

ハロー、せかい。風のつよい日です。かたつむりペースでお歌を鑑賞中、現在「020:幻」にさしかかったところ。
鑑賞しているとなんとなく気づくことがあります。このへんからは地震後に投稿されたものかも、って。もちろん、はっきりスパっと区別できてるわけではないんだけどね。(トラックバック元の日付までは確認していません) それでも、3月11日の出来事が、詠み手の意識を変えるには充分すぎる衝撃であったことは、きっと。確か。


「今までやっていたことがこの大地震を境にできなくなるのだとしたら、それは元から間違っていたことだ」と、誰かが言いました。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。意識を説いたものだとも言えるし、その意識自体が震災にあったんだとも言えるから。正直に言えば私は、地震から今のいままでほとんどまったく歌を詠むことができなくなっていました。なだれ込んでくる現実に、歌の言葉がまったく追いついてこなかったのでした。


短歌研究5月号の巻頭に、岡井隆先生の新作『三月十一日以後に思つたこと』十五首が掲載されています。『機会詠』という覚悟を想います、言葉は、やってくるものである以上に、探しに行かなければならないものでした。私のほうから言葉へと、向かわなければ。とおくても。こわくても。
くるしいね。
歩く。歩きます。