鑑賞「100:福」

ハロー、ハロー、せかい。ここまできたね。TB1〜161のなかからのピックアップです。


■ 愛しきものに触れ得し至福かへりくるひかりうけ撓(しな)ふ水底の藻に
   (橘 みちよ)
みなそこに、陽が至るとき。そうですね、藻は植物だもの、干潮を待ちわびているのでしょうね。「愛しきものに触れ得し至福」は常ではないこと、主体が藻に自身を重ねているようでもあります。


■ 誰かから逃げ出してきた幸福をひとつひろってうちへ帰ろう
   (すいこ)
「うちへ帰ろう 」。ほっこりと詠まれているんですけど、それはなかなかにシビアな幸福感でありました。ひとは、自分のこころが生み感じたしあわせだけで生きてはいない。ときに相対的であるし、分け合うものじゃないこともあり、奪ってすらいるかもしれず。社会を生きること、人と関わって生きる悲喜の裏のやるせなさを想います。


■ 幸福を祈りて春子と名を呼べば、きゃきゃと笑い声は転がる
   (なゆら)
題詠blog2010の鑑賞をしめくくるのはこのお歌だなあ、とおもいました。春子を見守るひだまりの視線。このひとが、彼女に「春子」と名づけたのだと。なゆらさん、春子への愛あふれる百首をありがとう。