鑑賞「089:泡」

「088:マニキュア」(TB1〜167)は鑑賞のみで失礼して、「089:泡」TB1〜163までのなかからのピックアップです。さすがにここまで鑑賞すると、投稿の皆さんも固定メンバーになっていて、この延長で皆さんがゴールテープを切っただろう場面を想像しながら読み進めています。またこれまでも、○○さんの次か次々あたりにいつも□□さんが投稿しているな、っていう投稿順序もだいたい決まってきてたんですが、たまに入れ替わったり間があいたりすると、おお、抜きつ抜かれつ、なんておもったりして。まるでマラソンコースでゼッケンを付けてほんとうに皆さん走ってらっしゃるような、そんな光景が見えるようです。これも題詠blog鑑賞のたのしさのひとつかも。


■ きっとまだ他の男がいるだろう泡立草の広がる野原
   (龍庵)
女と密会する男の、けものの勘が心象風景で描かれています。それだけ、女もけものの匂いを放っているに違いなくて、それはふらりと呼ばれた男かもしれないし、もしくは女が呼んだ男なのかもしれず。泡立草の隙間からのさわさわとした気配に囲まれ、信じるのか? 目の前の女の愛を、信じるのか、わからない、真相はわからないまま、共犯者のように女に傾いてゆく男。うつくしいお歌。


■ 手だけ来て冬の岸辺で未明から手紙の束を泡にしている
   (久哲)
最初想い描いたのはえらくシュールな光景でした。「手だけ来て」。海岸の中空に手だけが浮かんでいて、さりさりと手紙をこまかく破って捨ててるっていう。具体的に想像するとダリの世界なんですけど、で、なんとなくわかった気がしたんですね。胸とか頭とか、つまりこころは置いてきたんだって。手だけが中空で約束の手紙を破るように、こころ此処に在らずでこの儀式をやりすごそうとしている、つまり、まだ主体にとってのほんとうの区切りにはならないだろう予感がするんです。そういう、せつない歌。「手だけ来て」いいですね、久哲さんはこういう切り込みかたが巧いなっていつもおもいます。