鑑賞「054:戯」

TB1〜121のなかからのピックアップです。


■ 戯れに右の乳房に触れてみる わたしなんにもなくしていない
   (音波)
気づいているのね。恋じゃなかったことを。奪われたり、欠けたりすることのなかった慕情を。おとなになるって、こういうことかもしれない。「戯れ」という言葉なりのかなしみを、しんと感じる一首です。上の句と下の句で漢字・ひらがなの表記が調整されていて、描写(上)から思考(下)へのスイッチがより鮮やか。


■ 目を閉じてつかのま死亡遊戯かな(たぶん飛ばない僕の自転車)
   (市川周)
市川さんは、お歌のほとんど(いや全部か?)で下の句をカッコ書きにしてらっしゃいます。同様に昨年は確か(きりがよいので七七はなし)ってされてらした気が。上の句のまとめかたを見るに、もともとは俳句のかたなのかなーともおもいつつ、この一首は上の句とカッコ内の詩情がうまくかみ合っていて惹かれました。夢のなかでも、自転車は飛ばない。「閉じて」「つかのま」「たぶん」「飛ばない」、タ行の破裂音をもってしても弾けることのない日々に、眠りそのものだけが遊びなのでしょうか。静と動の歪な絡ませかたも印象的です。


そのほかには、

■ 戯れに繰るTwitter顔の無き励ましが背に降りつもりゆく (中村成志)

■ 砂の城を飲み込む波と戯れる春子は未だ恐れを知らぬ (なゆら)

のお歌にも惹かれました。中村さん、「顔の無き励まし」。いま、ですよね。ツールと社会は、どちらが卵でニワトリなんだろう。けどそういう薄さにすくわれる人も、確かにいるのだとも。なゆらさん、おおきくなったら春子も海が恐くなるのかな。砂の城、波。いまはただ楽しいだけの。音波さんのお歌といっしょに、胸にそっと置いておきたい一首。