鑑賞「012:穏」

“ほぼ日”ばりの更新が続いていますっ笑、TB1〜185のなかから印象に残った短歌です。いくつかね、字を見誤ったのか「隠」になっているものがあって。惜しかったなぁ。


■ 不自由な指先で壁を塗り直しては穏やかに暮らしています
   (富田林薫)
上の句はメタファと読んで差しつかえないでしょうか。データや恋でいう上書きのように、過去を気に病みすぎない潔さを感じます。ただ主体は「不自由な指先」ともあり、それらが決して嬉々となめらかに為されてきたばかりではなかったことも同時に示唆しています。この穏やかさは、高村光太郎の云うところの「私の心の静寂は血で買った宝である」のかもしれません。(智恵子抄、良いですよねぇ)


■ かたちあるものだけでいい穏やかな穏やかな夜星が流れる
   (わたつみいさな)
せつない。傷つけ傷ついてきたひとの、次第にやさしんでいくこころを想います。「かたちあるものだけでいい」と言い切るまでの、求めて求めて、求めた日々。この流れ星のように、主体の狂おしい欲望もまたしずかに燃え尽きていったのでしょうか。二句切れのあとのリフレインが効いてます。


■ ほの白き障子に影の滲むごと言葉を宿す不穏な鎖骨
   (揚巻)
「ほの白き障子」の女性感から、この鎖骨の主も女性と捉えました。鎖骨のチョイスいいですね、首すじだとストレートすぎるし、胸だと陳腐になっちゃう。デコルテの機微、たとえば相手の抱擁をそのまま受けてしまわず肩をふっとすくめるような、なにか含みのある動きを想わせます。なにを言いたくなってるのかな。訊きたいことが、あるのかも。どちらにしても“言葉になってしまう”くらいには考えつづけてきた、確信に近い問いかもしれません。さぁどうする恋人よ。


そのほかには、

■ そのむかし穏婆でありしおほ母の手帳の文字のさやぐ夜がある (行方祐美)

■ 穏やかに死んだのだろう新聞の出生欄にやさしい名前 (ぱかり)

なども印象的でした。行方さんの一首、「穏婆」という読み込みかたいいですね。「さやぐ」のは祖母の文字なのか、文字に触れている主体の状態なのか、私のイメージ不足で確信を持っては感じとれなかったのですが(ちなみに、祖母の文字に掛かっているんじゃないかなぁーと思ってます)、祖母と私、血が時を経て動/静のコントラストを描いているだろうところが好きです。