鑑賞「001:春」

始まりましたね、『題詠blog2010』。スタートからもうすぐ一ヶ月が経ち、参加表明も200名を越えたようです。私イシハタも昨年初参加で無事完走し、今年はいまのところ詠みの参加は未定ですが、まずは鑑賞でスタートします。今年も私イシハタの独断と情熱(!)でステキ短歌をみなさんに紹介していきますので、ぜひおつきあいくださいね。それでは「001:春」、TB1〜180までのなかからのピックアップです。


■ 伸ばされてこきりと鳴りし青年の首より春はかそけく立てり
   (笠原直樹)
青年、おそらくは少年の面影も濃く残っているだろう、その首筋に匂い立つ春。それはやわらかな若芽の、やっとほのかなあたたかみを感じられるところまできた風に似た、不安定ながらも確かに在るもの。成長してゆく心身、ゆるゆると立ちのぼるものに抗わないいのちの有様とそのこころぼそさを的確にとらえた秀逸な一首。


■ もうきっとあなたのペース ごくぶとの生春巻きをひといきに噛む
   (田中ましろ
嗚呼、これ好きです。大好き。まず二句切れの前後のつながりかたが素敵。生春巻きは「あなた」がつくったものでしょうか。心身の主導権が向こうに取られていることを主体は痛感していて、それがとても悩ましく悔しいのだけど抗うことはせず、差しだされた料理を「ひといきに噛」んで、意志をもってその関係性にYESと答えている。恋愛感情にあるふたりにおいて、武骨な生春巻きを食べるという行為で示されるセクシャリティ含め、この享受の清々しさ、意志の瑞々しさはやはり春をおいてほかにないでしょう。っていうかもうね、ホント悔しいけどそうですよね!(内容に食いついている) いいなぁ、なんて素敵バランスな歌なんだろう。くやしいなぁー。笑


■ 耳たぶのうしろにできた陽だまりを春と呼ばずにもうすこし待つ
   (わたつみいさな)
オトナな歌です。なぜなら「もうすこし待つ」からです。おそらく、春はもう来てるんですよ。主体ももちろん解っていて、あとは名づけるだけなんです。逆に、名づけないうちはまだ来ていないことにできるんです、それはシュレーディンガーの猫みたいな、オトナな理論。経験ゆえに、オトナはちょっぴりズルくて、ちょっぴり臆病で、相手と自分にもうすこしだけ時間を与えることができる人たちなのかもしれません。そして歌の内容とは別に“言葉とは”というひとつの問いを読み手に投げかけているようでもあります。


他にも、

■ 春という春を思えば一滴の海拭わずに乾くまでいる (ましを)

■ 立春の真夜のしづけさ父母の血より生れたる爪切り落とす (鮎美)


などの歌に惹かれました。今後もこのようなスタイルで、特にお気に入りな数首を感想つきで、その他印象深かったものを追記的に紹介します。

今回のお題「春」、全体的には、ほわわんとあたたかなしあわせを詠ったものが多かったようにおもいます。個人的な欲としては、喜びや嬉しさ、きれいな感情だけではない、残酷で醜い部分にも触手が伸びている歌ももっと読んでみたかったなーと感じました。春はそこからやってくるものだと、私は感じています。