鑑賞「041:鉛」

TB1〜131のなかからのピックアップです。コメントが毎回すこーしずつわらわら長くなっていってるような気がします。読みにくかったらごめんなさいね。


■ 生きるために死ぬ人と殺す人といて鉛筆削りは鉛筆削る
   (古屋賢一)
「鉛筆削りは鉛筆削る」。製品としての役割を忠実に果たしている、ただそれだけのシンプルな所作に自分を重ね合わせているかのようです。役割を果たすことが、けれど主体には「生きるため」という実感になっていないんだろうな。上の句の二者、生きるために死んだり、殺したりっていうのは矛盾してるんですけど、この二者の切実さを主体はまぶしくおもってる。前者にも後者にもなれない自分はひたすらに鉛筆を削るという、作業化した日常を淡々とやり過ごす。果たしてどっちが“生きている”のか? そんな問いが描かれています。歌中の反復のリズムが心地よいです。


■ 悲しみを鉛と交換してくれる職業の人の持ってる鉛
   (壬生キヨム)
これ好きだな。まなざしがあったかい。そして悲しみを鉛と交換して「くれる」っていう発想が好き。心的メタファとしては「鉛」の硬質感・重量感ってネガティブに用いられることがほとんどなんですけど、「悲しみ」と対極であるかのように読み扱うことで先のイメージがくるっと裏返ってなにかこう、確かなもの・安心感につながってく気がします。言葉の持つステレオタイプなイメージをいい意味で裏切ることを考えて詠まれてる、その意識が個人的にすごく好きです。まなざしがあったかいっていうのは、「交換してくれる職業」、与える側である人も、どこかでは与えられる側である、もともとは自分と同じように「悲しみ」を交換してきたわけで、人のすきまを循環するエネルギーに注視しているところ。いいですね。