鑑賞「034:孫」

TB1〜130のなかからのピックアップです。む、このお題を考えたかた、ツワモノですね。シニア世代の孫詠みは日常詠みとしてありふれているので、それはそれで“そのへんにごろごろしてるんじゃないヤツを詠んでみやがれ!” っていう挑戦状だし、ここ題詠blogならばそれとはまた別角度からの“いきなり取ってつけたんじゃないヤツを詠んでみやがれ!”っていうアジテーションに感じます。世代観か、やはり自らが「孫」として祖父母に語りかけるものが多かったです。あとは「子孫」「孫の手」とか。題詠で「孫」を詠みそこで頭ひとつ飛び抜けるには、新鮮なズラしか、おなじ風景にしても独自のアングルで切り込むことが必要となりそうです。


■ 街よ、お前の子孫がやがていつの日か森になるまで いまはおやすみ
   (虫武一俊)
街の子孫としたところに注目。森に還っていくでしょうか。還るとしたら、「おやすみ」と語りかけた主体の子孫は、その森とどう関われているでしょう。存在、できているでしょうか。人工と自然の対比を想うとき、ヒトの営みだけでなくヒト自体もまた、もはや自然ではないのだと気づくのです。結句前に一字空けることで、街への語りがいっそう重く、ずしりと「いま」に響いてきます。おやすみ。それでも、眠らない街よ。


以下、そのほかに気になったお歌たちです。


■ 孫文の生涯とほく聞いてゐつ四時限目なるひかりの傾りは (行方祐美)
固有名詞でクリア。ひかりの粒子が見えるよう。

■ 孫ほども年の離れた宮下を「ママン」と呼んで会長倒れる (中村あけ海)
かいちょおぉぉぉーーー!!!

■ 平日の午後始まれる歌会に「孫」詠む歌のことさら多し (あひる)
うん、そういうことなんですよね。だからこのお題で「個」を表すのは、難しい。