鑑賞「010:かけら」

おひさしぶりです! 気づけば前回の鑑賞から一ヶ月あまりが経っていました。北海道もすっかり桜木が緑になり、やっと初夏のしっぽがみえてきたところです。

先日『純響社WEB』のコラム『アトリエの庭から』を更新し、お題「013:元気」のお歌を紹介しました(→ http://junkyosha.com/)。ぜひ見てみてくださいませ。こちら『裏デッサン』では数日に分けて、その他のお題でのお気に入り短歌を紹介していきますので、こちらもぜひお付き合いくださいね。
ではでは「010:かけら」、TB1〜196のなかから印象に残ったお歌たちです。


■ 天上のかけら降り積み花はみな赦されて散る雪の夜半に
   (ミナカミモト)
ふしぎな読後感。ふつう雪の季節に自然の花は咲かないし散らない。じゃあ鉢植えかしら、いえ「天上のかけら」とあるのでそれはちょっと違う。花というのはおそらく人のメタファで、「花はみな」とありますがそのなかの一人として主体をも指しているだろうとおもわれます。それまでは幾多の天候にも……強い風にも雨にも耐えて咲き誇っていたこころが、さむい季節、降り積もる雪のなかで散っているのでしょう。赦しは関わった対象によるものではなく、なにか説明のつかない導きのようなもの、あえていうなら神が桜に与えた散り時のような、そんな赦し。主体を断定しているわけではなく、具体的になにに対して「散って」いるのかは書かれていませんが、おそらくそんな、花が花であり続けるための力、それが絶えた瞬間のはかない愛しさが詠まれているのではないでしょうか。冬は厳しいだけでなく、散る人々をしろいやさしさで受けとめてくれる季節です。ここはあえて恋愛に限定せず、おおきく味わってみたいと思わせてくれる歌です。


■ 水かけろん(とにかく水をかけまくるおばけ)に水をかけられている
   (あみー)
とにかく水を!かけまくる!おばけ!!笑 もうね、まさしくそうだよねってくらいあれは不毛でわけが分からない。そんなものを見せつけられる不快感、ぐったり感。なんでやねん、って感じの。お題が変則的に使われている一首、水掛け論を「おばけ」ってしたところにあみーさんのセンスが光ってます。かな表記も歌の空気を保つのに一役買ってますね。水木しげるさんの漫画に出てきそうだよね、水かけろん。水だけに。どろろん。


そのほかには、

■ 曇天に一刻射せる春の陽の残せしかけら木蓮の白 (あひる)
が印象的でした。木蓮の白の肉厚感が、雲間からのひとすじの光の強さと重なって。春の矢文みたいです、まぶしい。


以後、ぽちぽちと更新を続けますので、みなさんのペースでのんびりと覗きにきてくださいねー。