鑑賞「020:貧」

1〜241首からのステキ短歌です。ところであれですね、自分の歌詠みに集中したい時は、なおのこと外に目を向けるのが私の場合はいいみたいです。違う趣味にも没頭したり、たとえばこうしてみなさんの歌を鑑賞したり。詠むということは、自分のなかに風を通すことでもある、そんな気がします。詩のスランプでがちがちになってた数年前の私は、真冬の夜中に裸足で屋根にのぼったりしたことも。。ありました。。詩は日常の中で非日常といかに対峙するかがキーだったりもするので、そういう形で自分を追いこむことがまれにあったんですが、短歌の追いこみかたはまたちょっと違いますね。言葉って面白いなぁー、そして今の自分には短歌が合ってるみたい。そんなわけで豊かな「貧」の数々です。


■ 昨日まで月を見上げることもない心貧しい人だったんだ
   (jonny
今日なにがあったのか、月を見上げるという記述だけで想起させているのがすごいです。自分のことを「人」と呼ぶことで、昨日とはまるで違う自分、ひいては心というものの予測のつかなさが表されています。空、見上げちゃいますよね。だって月は一緒だから。全体的にもシンプルな言葉運びで素敵。


■ 貧血で倒れた児童十五名超えてようやく朝礼終わる
   (夏実麦太朗)
その場にいる人の目線でいるようで、そうではない、どこかカメラワークのような、高い場所からの客観的な目線を感じました。ドサッ、ドサッと生徒の倒れる音すらどこか淡々と聞こえてくるような。この静けさ、とても好みです。


■ 憧れて貧しくなったその胸のゆっくりと膨らむ後半生
   (間遠 浪)
そうですね。内側の力で、人は満ちてゆける。説として頭でわかるだけでなく心の芯でわかるようになれば、自分がいまどんな位置に在るかはそれほど重要ではなくなってきます。若き女性を、もしくはそうであったかつての自分を、やさしく見つめる年長者のまなざしを感じます。