鑑賞「019:ノート」

1〜239首からのピックアップ。全体的にはストレートに「ノート」で詠まれたものが圧倒的に多かったです。おお!とおもった単語は「ラストノート」、香水のフィニッシュなんてスタイリッシュ。私は「アストロノート」で詠みました(http://d.hatena.ne.jp/ishihata71/20090320/p1)。これはこれで気に入ってるんですけど、別の機会に「ノート」で直球勝負したいな。


■ そうなっていたかもしれぬ薄桃のノートに残るあの人の姓
   (月下燕)
嗚呼、憶えのある香り。感覚的に婚姻がまだとおいものだった年頃にも、好きな人の姓と自分の名のバランスを気にして、なんかこう、書いてみたりね。。机の、こころの、引き出しでひっそりと眠っていた薄桃がふと目を開けたひととき。冒頭の「そうなっていたかもしれぬ」の儚さ、私たちの道がほんの小さなきっかけやタイミングに満ちたものであることを想起させてくれます。


■ 生前に母はノートに記したりき「香典返しは敷布にすること」
   (梅田啓子)
おそらくこのノートは日々の箇条書きで、これはそのなかの一文なのでしょう。あとからそれに触れてなお知る、母というひと。その整然たるようす、敷布という懐かしい響き、布タオル類は何枚あっても重宝するからという世代、自らの生と死に静かに向き合うなかで、快気祝いではなく香典返しと記した母の心情、そしてこの一文はもしかすると葬儀のあとに見つかったのかもしれない、実際には母の意は汲まれなかったのかもしれない、それを見つけた話者の心情……、情感的な記述を抑えることでその味わいを一層引き立てることに成功している上質な歌です。梅田さんの歌の高みに、私もたどり着けるかな。


■ この歌はライナーノートに失恋の曲とあるけど僕は楽しい
   (天国ななお)
これありますよね、音が好みでがしがし乗りまくって、アルバム買ってみたら予想外のエピソード&歌詞だった、とか。そうそう昔ドリアン助川の「金髪先生」っていう洋楽翻訳番組があってね。。(懐かしいっ 知ってるかたいるかしら)。シンプルながら深いです。ふたつの点を密接につなぐものが必ずしも同じ感情ではない、という、人間関係の一面までもが香ってきます。


■ もう愛しあえない理由を約100個ノートに並べた それくらい好き
   (加藤サイ)
大きなこともほんの小さなことも、感じて感じてしかたないよ。嫌いにだってなれる、恋心という矛盾、そしてそれだけ挙げても手放せないくらい、好き。100個の羅列を想像してキュンキュンしました。最後のほうはもう、ええー!(泣&笑)ってくらい細かいことなんだろうな。いいですねー好きです。


■ 全力で借りたノートを全力で抱きしめ走る 夏がはじまる
   (羽根弥生)
フレッシュ! このあとまた全力で返しにいく様子を想像して、ふふーってなりました。まぶしくて懐かしい全力、恋が歓びだった頃の。私たちはおとなになって、恋もだんだん、おとなになって。とおくまで、来てしまったね。全力は全力なんだけどね、かなしみのなかを走ってる、そんな全力。