短歌鑑賞・「009:ふわふわ」

1〜219首目からのピックアップです。今日はちょっと少なめ。いろんなふわふわがありましたが、お題を受けての歌の感触は004の「ひだまり」に似てたかも。言葉の持つ既存のイメージを手堅く押さえながら、いかにそれ以上の場所へといざなってくれたか、そんなふうに鑑賞してみました。


■ 好きすぎたわたしは強く抱きすぎたもうふわふわはふわふわじゃない
  (岡本雅哉)
好きすぎた、抱きすぎた。過去形なんですよね。話者はもう抱かないか、抱いても泣きたくなるだけだろう、かなしい恋の歌です。ふわふわを奪ってしまった、そしておそらく、ふわふわじゃないからもう惹かれない、というエゴイスティックなかなしみ。相手のありのままを大切にして好きでいつづける、って、恋だとすごく難しい。この世には「恋愛」って言葉があるけれど、私これおかしいとおもうんですよね。恋と愛では性質が違いすぎる、愛が構築なら、恋は破壊だ。それでも落ちずに生きられない、恋。だからこそ人は恋歌を詠み、恋歌は人を惹きつけるのかもしれません。


■ ふわふわの1005匹目の羊から切符をもらう夜の改札
  (太田ハマル)
先に柵を跳び終えた1004匹の羊たちにもっふもふにされながら息絶え絶えな話者がみえました、嗚呼。ふわふわがふわふわなまま、語感とは真逆の焦燥をもイメージさせてくれるところが素敵。眠れない夜の、やわらかく絞められていくような苦痛がうまく詠まれてます。手触りもポップで人気の高そうな一首。