短歌鑑賞・「006:水玉」

1〜228首目からのピックアップです。最近は自分の詠みよりも鑑賞が楽しくてそっちばかり力はいってる気が(笑)。嗚呼、走らなきゃ。


■ あついねと笑うあごから落ちそうな水玉(たぶん舐めたら甘い)
  (本田あや)
甘いのか! 甘そうに見えちゃうのか! この歌はカッコ部分の勝利ですね、恋とはどんなものなのか、話者の心情を語ることなくサラリと表現しています。うまい。


■ 着せたまま縫う 背中にくろい水玉がならぶ動物の検死のように
  (我妻俊樹)
静謐。写真的。トルソーのよう、対象に対し冷静な面持ちで鋭利な感情を向けるさまが浮かびます。この静けさはちょっと、すごい。確かな筆力を感じます。


■ 水玉のブックカバーで隠してた太宰は今も本棚の奥
  (春待)
「太宰」と「水玉」、なんて似つかわしくないんだろう。電車で見かけても絶対わからない。そのようにひっそりと、けれど折々で手に取らずにはいられない文学がいまも、カバーのままに奥の奥で呼吸してるんですね。「水玉」のポップさに新鮮な彩りをそえたステキ短歌。


■ ハコフグの水玉ひとつひとつずつUTMの図法で解けて
  (松原なぎ)
私にとっては、意味を追うというよりは記号の美しさを味わうタイプの歌でした。数式の意味は解らなくても黒板にひろがるそれに見惚れてしまうような、そんな。UTM図法(ユニバーサル横メルカトル図法)によって精度高く解体されてゆくハコフグの白い斑点が、歌の視界に鮮烈に点在しています。


■ 恋人に恋していない 水玉は水のかたちになぜか似てない
  (鳥獲)
言葉の嘘、こころの嘘。水色が水の色をしていないように、けど私たちはズルいから、それらを口に出さずにやり過ごす。気づかないふりで、ずっと一緒にいたり、する。「水のかたち」という表現がいいですね。見た目・流体としてのかたちなのか、分子のかたちなのか、意外と深い話にもなりそうです。