短歌鑑賞・「004:ひだまり」

1〜242首目からのピックアップです。
文字どおりほっこりした、ポジティブな恋歌が多かったようにおもいます。けれどそれを全面に出しただけの、言わばスナップ写真では歌として予想できすぎてしまって、なにか物足りない。ほっこりを表すにしてもアングルが腕の見せどころな気がします。もしくはネガ、トリミングの妙を感じさせてくれる歌が好きです。


■ ひだまりに君がつるしたサンキャッチャーゆれて(会いたい)ひかる(会えない)
  (文月育葉)
そう、たとえばこんな。ひだまりと言ってもやわらかなだけじゃない、針のような痛みだって生まれる。切ないなぁ。下句のカッコがサンキャッチャーの乱反射みたいでいい感じです。


■ 猫たちが黒黒茶白白三毛と集まってくる よるのひだまり
  (天国ななお)
猫を詠んだ歌が大量にあったなか、これはピカいちでした。「よるのひだまり」の詩情もさることながら、なんたって「黒黒茶白白三毛」がいいです、ぞろぞろとやってくるこの感じ! なんども音読しました。


■ ひだまりに夫と肉まん食みてをり ずつと死なないやうな気がする
  (梅田啓子)
時間軸で考えれば、永遠のひだまりはなく、肉体はやがて終わる。のだけど、一瞬のひだまりのなかに精神の永遠を感じることが私たちにはあって、それが例えば、こんなひとときなのではないでしょうか。「ずつと死なないやうな気がする」という下句が、話者の現在のしあわせと行く道への祈りをより強く感じさせています。


■ ひだまりの素粒子たちがモンゴルの通貨単位はツグリクと告ぐ
  (O.F.)
嗚呼、だから子どもたちはまぶしいんだ。これはモンゴルのチョイスが素晴らしい。あの丘陵、あの草原。下句の「ツ」の響きにも遊びごころが効いてます。


■ 美術準備室にひだまり閉じこめて肺に満ちてく石膏のしろ
  (加藤サイ)
ひだまり、という言葉の奥行きをいちばん感じた歌です。石膏という他者性が空間から自身の内側へと満ちてゆくさま、その描写が素晴らしいです。美術準備室ってのがいいですね、美術室だとちょっと違う。雑多さ、埃っぽさ、静物・胸像からの視線、それらをまるごと包んでいる静けさ。そんなふしぎな、静謐な病いといった感覚が、準備室の空気です。美術部員だった学生のころをおもいだしました。